シリーズでお伝えしている「『10年』あの日から」。
原発事故の影響で、埼玉・加須市に集団避難した福島・双葉町の町民。
2021年、一部区域で居住が可能になる。
ふるさとに戻りたくても戻れない避難者の胸の内を取材した。
刻まれた「希望」の文字。
3月6日、震災を風化させないために設置されたモニュメントの除幕式が、埼玉・加須市で行われた。
原発から10km圏内にある福島・双葉町。
「発展豊かな未来」とうたい文句が掲げられたこの町は、原発事故により深刻な被害を受けた。
地震発生から8日後、町民およそ1,200人は、町から200km離れた埼玉県に避難。
その後、廃校となっていた加須市の旧騎西高校に移った。
現在でも加須市内では、およそ400人が生活をしている。
双葉町から避難してきた藤田博司さん(81)と、ヨネ子さん(80)の夫婦。
双葉町では主に和牛の飼育をしていたが、現在は、白菜やブロッコリーなど野菜を作り、地元の直売所で売っている。
博司さんは2020年3月まで双葉町埼玉自治会の会長を務め、畑仕事はヨネ子さんが切り盛りしている。
避難して10年。
地域にもすっかり溶け込んだ。そんな藤田さん夫婦や双葉町民にとって、貴重な交流の場となってきた場所がある。
「NPO法人 加須ふれあいセンター」。
避難してきたばかりの双葉町の人々に温かい食事を提供しようと、震災後、加須市民が始めた。
支援続ける加須市民・宮澤トシ子さん「あったかいおみそ汁をおわんで飲んで、お茶わんでご飯を食べたいという思いのおばあちゃんたちが多かったんの。ふるさとの味を思い出してほしいなと思って」
しかし、資金面などの理由から、センターは3月末に閉鎖されることになった。
2021年春、一部区域で居住が可能になる双葉町。
復興庁がまとめた調査によると、双葉町民のおよそ6割が戻らないと決めていると答え、戻りたいと答えた人は、およそ1割にとどまる。
藤田ヨネ子さん(80)「戻れる条件にならないと戻れない。まさかこんなことになると思わなかったから。しょうがないよね。現実を受け止めなきゃいけないし、だからあとは前向きにやっていくしかないかな」
藤田博司さん(81)「夢の中に双葉のことが出てくる。どういうことをすれば戻れるのか。先駆者になって自分の住みたい町をつくるっていう年齢ではない」
藤田さん夫妻は、不安を抱えつつも、いつかふるさとに戻りたいと話していた。
一方、双葉町に戻らないと答えた6割の町民に復興庁が理由を聞いたところ、「避難先ですでに自宅を購入した」といった声や、「医療環境に不安がある」などの声が多く、あらためて10年という月日の重さを感じる。
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戻りたくても…避難者の今 「10年」あの日から

戻りたくても…避難者の今 「10年」あの日から
コメント
戻りたくても…トンボ鉛筆佐藤の今
こんにちは、トンボ鉛筆の佐藤です。改めて地震の方は大丈夫でしたか?
このメールを配信した中には、被災されている方が多数いると思います。
直接的な力にはなれないですが、
私自身、都内から自宅のある埼玉まで徒歩で8時間かけて
帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。
さて、先日は咄嗟のメールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。
会社は大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故・怪我の連絡は入っていないです。
本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。
こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。
ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます。
その条件とは1点だけです。
書類選考を希望される方は、添付の専用履歴書とエントリーシートをご確認いただき、
3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。
直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。
会場で通り一遍等の説明・指示はします。
その指示が難しい場合は・・・その先は言う必要ないですよね。
自分で考えてみてください。
皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。
全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています。
原発タカリ、追い剥ぎ、ゆすり、日本ハリジャンです。恥晒し村人です。